韓国の旅
その2

ソウルから板門店に至る「統一路」
現在は片側2車線ですが統一の暁には
片側5車線になるそうです。
臨津江(イムジンガン)に架かる鉄道橋。
この日は試運転をしていました。
(写真は撮れず)
対岸は北朝鮮です。
検問所
ソウルから30km程度なのですが
日本にはない、ものものしい雰囲気です。
銃を持った兵隊さんがウヨウヨ。
少しびびってしまい隠し撮り風に
なってしまいました。
ここでパスポートチェック(1回目)
背中にはライフルが・・・
ちなみに韓国では兵役があり、
この人も兵役期間中の方のようです。
NO PHOTO 検問所から先は撮影が禁止になってしまいます。
道路そのものは38度線近くまで4車線の道路が
続きますが途中にコンクリート製の
巨大なゲートが現れます。
これはいざというときにゲートの上から
巨大なコンクリートを落として戦車の通行を
妨げるそうです。
(撤去には30分かかるとか)こんなゲートが
いくつかあります。
NO PHOTO いよいよ38度線に近づくと
軍のバスに乗り換えます。
このときに国連軍の兵士(米兵)が
ガムを噛みながらパスポートチェック
(2回目)その後、国連軍のジープに先導を受け
出発です。
道路脇は緑豊かな森林や湿地帯ですが
多数の地雷が埋まる地雷原です。
板門店。
韓国軍の兵士たちです。
板門店の警備にあたる兵士には身長、体重、
経歴、英会話など厳しい条件があります。
ちなみに皆様テコンドーや空手の有段者
(4段以上)だそうです。


水色の建物は軍事停戦委員会の建物です。
中では記念撮影ができます。
テーブルの真ん中から右側が北朝鮮。
左側が韓国です。建物の中なら自由に
行き来ができます。
建物の中から外を見るとコンクリートの線が・・・
これが軍事境界線です
左側が北朝鮮です。
この兵士の後ろの扉の向こうは北朝鮮です。
窓の外を見ると北朝鮮の兵士がいます。
微動だにしない韓国軍の兵士と違い
「何なのこいつら???」みたいな感じで
建物の中の私たちを覗き込んだりします。

※北側から板門店に来ると逆に韓国兵が
 覗き込むらしいです。
建物にたいして半身になっているのは
いざ事が起こったときにすばやく防御するため
だそうです。


1984年にはソ連人観光客の亡命を巡り
銃撃戦が発生し北朝鮮側3名、韓国側1名の
死者をだしています。
板門店の全景。
写真奥に見えるのは北側の施設
板門閣です。
板門閣のアップ。
北側の兵士と監視カメラが見えます。
板門店では北側に向かって指をさしたり
手を振ったりすることは
厳しく禁じられています。

※北のメディア?に「北に憧れる南の人民」みたいに
 紹介されてしまうからだとか・・・


中年のオバサマ、おじ様方があまりにも頻繁に
指をさすので国連軍の米兵が「Hey!! You!!」
と叫んでこちらに向かってきます。
かわいそうなガイドさんは
カンカンに怒った米兵にコッテリと
絞られしまいました。
白いポールが軍事境界線です。
北側の監視所。屋上には監視カメラ。
よく見ると一階の窓が少し開いています。

※ポインタを画像に合わせてください。
 まるで心霊写真のようですが北の兵士が
 こちらを伺っているようすがわかります。
帰らざる橋を望む
水色の小屋が国連軍の哨舎です。
北朝鮮側の農村。
北朝鮮の宣伝村。
実際に住んでいる人はいないといわれています。
鉄塔の高さは160m。旗の横幅は30mあると
言われています。


ちなみに韓国側の非武装地帯にも集落があり、
同じように巨大な鉄塔と国旗があります。
韓国側の村には人が住んでいますが
夜間は外出禁止、納税は免除など
やはり特殊な集落になっているようです。
ポプラ事件の記念碑。1976年8月18日
哨舎の視界を妨げるポプラの木の伐採を巡り
小競り合いが起き
2人のアメリカ兵が斧で惨殺されました。

それまでは板門店は文字通り共同警備区域として
北と南の哨舎が混在していたのですが
この事件を機に38度線を境に北と南の警備区域が
明確に区分されました。
帰らざる橋です。
朝鮮戦争後、ここで双方の捕虜の交換が
行われ、多くの捕虜があるいは北へ、
あるいは南へと帰っていきました。


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